宇宙(そら)を見上げて

2016年冬のはじまりにティーンエイジャーの娘が宇宙(そら)に旅立ちました。こんなに愛してる気持ち、どうしたらいいの?行き場のない想いをのせて。。。

占いタクシー

「占いタクシー Seatbelt Psychic」というリアリティ番組をネットでみる(アマプラ)


乗客にあちらの世界の家族の言葉を伝えてくれる運転手、実は霊媒師(ミディアム)


それぞれの乗客の、それぞれの人生を垣間見る

そんな中、救われる一言があった


「あの世のたくさんの人たちをみてきたけど、自死をした人たちからきいた話で、あの世で罰せられたり苦労したりということはない。多少学ばなければならないことは増えるかもしれないが、闇に落ちるようなことはないんだ」


良かった

そう信じてきたけど

こうして映像で誰かが自信をもって言ってくれるとこんなに心がホッとする


私も乗りたいな このタクシー

夢の中でもいいから 乗りたいな

映画

「嘘を愛する女」という映画をみた

エンディングの歌をききながら

涙、嗚咽


状況はちがうけど

愛する存在を失ってしまったこと

自分はもう前を向けない、と思っていること


取り返しのつかない出来事

自分を悔やんでも悔みきれない

終わりのない感情


それでも新しい日々がやってくること

生きていること


もう同じ世界ではない

地に足がついていないような日々

もうすぐ4年が経つ


苦しさは

いつでも隣に

でも少しずつ生きている

あの頃と変わらない自分が笑っていることもある


でも、決して同じではない

手放しでのびやかに清々しく笑える自分はいない

そのことは同じ経験をした私たちにしかわかり得ないこと


それでも生きれる間は生きるよ

色々なことのために


だからそばにいてね

空を自由にとびながら

たまにでいいからそばに来てね


そんな風に

生きていく。。

娘の制服

あれから三年。唯一洗濯しないままクローゼットに残していた娘の制服のブレザー。たまに娘のにおいを探してくんくんしてた。

あの日も学校に着て行ったんだもん。


我が家の狭いクローゼットにいつまでも、クリーニングにも出したくないまま置いていたけど、どうしようかなあ、と漠然と思ってはいた。


きのう、娘の同級生のお母さんと久しぶりにランチした。これまでずっと支えてきてくれたママ友だ。下のお子さんが娘と同じ学校に通っていて、ブレザーが痛んできてる、という話に。娘のブレザー、とってあるよ、と話したら、是非貰いたい、という。一緒にランチしていた下のお子さんも「もらう、もらう!助かる〜!」と屈託なくニコニコ。「ほんとー?いいのー?」涙がポロポロとまらなくなってしまった。なんでだろ。


家に帰って長女にそのことを話したら、「怖がらないんだね。いいんじゃない?〇〇の制服がまた活躍できるんだし。」と、ちょっと嬉しそう。


私はその親子の寛大な気持ちに驚いたし嬉しいし、なんでこんなに涙が出るのかわからない。。クリーニングに出す前にと、今朝もブレザーに娘の匂いを探す。とくに匂いはないけど、手放すとなるとさみしい。。さみしいけど、もらってもらえることになった事を自然に受け入れていいのかな。


娘のたくさんの私服は妹が着ているし、娘の学校の体育館履きはまだ買ってあげたばかりだったから、私が今もジムで履いてる。そうすると娘と一緒にいる気になったりする。


ブレザーを手放すのはさみしいけど。。

娘のにおいなら一緒に寝ていたテディベアにもついたままのはずだし、いいよね、これで。


みなさんはどうしてますか?